現代女性に似合う着物をつくる。京都・西陣「かはひらこ」佐竹美都子さん(前編)
日本を代表する美しい織物、京都の西陣織。多くは着物や帯などに使用される高級織物です。その名の由来は、1467年から11年間、東軍と西軍に分かれて争った応仁の乱にさかのぼります。そのときに西軍の本陣が置かれた船岡山(現・京都市北区)の周りに、装束を織る織司氏(おりつかさし)がたくさんいたことから、西陣で織ったものという意味で『西陣織』と呼ばれるようになりました。先染めをした糸を幾種類も組み合わせて美しい文様を織る、その優れた技術は国の伝統的工芸品に指定されています。
西陣の機屋(はたや/織物を織る業種)に生まれ育ち、ヨットでアテネオリンピックに出場した後に家業を継ぎ、自身のブランドを立ち上げた佐竹孝機業店の佐竹美都子さんに、西陣織の魅力と着物についての思いをうかがいました。
【佐竹美都子(さたけみつこ)プロフィール】
株式会社西陣坐佐織 代表取締役。
同志社大学卒業。2004年アテネオリンピック セーリング競技日本代表。2005年より家業の西陣織製造業に従事。2012年株式会社西陣坐佐織設立。翌年、オリジナルブランド「かはひらこ」を立ち上げる。華道 小松流師範、能楽観世流、煎茶道など和の文化にも造詣が深い。
かはひらこ
https://kahahirako.com/
西陣織・佐竹孝機業店について
――家業の歴史を教えてください
私どもは大正2年に福井市で漆業として創業し、昭和24年に織物業を始め、京都で佐竹孝機業店を起こしました。西陣で機織りを生業としているメーカーです。
大島紬や結城紬など、伝統工芸品にはそれぞれ細かい基準があります。加賀友禅なら、加賀五彩といわれる色を使い、画風も決められています。しかし西陣織は大きな産地なので、手織りがあれば自動織機(じどうしょっき)で織るのもある、着物も帯もあって、細かいしばりがありません。そのため、製造工程も多岐にわたり、分業が進んでいます。
創業72年ですが、西陣にはもっと古くからやっておられるところがたくさんあります。その中では新しいほうなので、いろんなことをやり続けることができます。40年ほど前に、京都にあった機場(はたば)を石川県の山中温泉に移しました。京都市内の機場が手ぜまになったこともありますが、祖父と父の「西陣織の枠にとらわれずに、いろんな工芸と融合したものづくりをしたい」という思いからです。いわゆる地区外出機(ちくがいでばた)として、西陣織のものづくりをしています。
佐竹孝機業店から生まれる様々な織物
――どのような織物を作られているのですか?
山中温泉では、桑の木を植え、蚕を育て、糸作りから自社で行い、草木染を手掛けるなど、一般的な西陣織とは違うものづくりをするようになりました。多いときで手機(てばた)と自動織機合わせて80台、今でも40台あるので、それぞれの機がもつ機能を生かして、様々な織物を作ることができます。
西陣では唐織やつづれなど、使っている機の種類や台数によって専門となるものが限られてくるので、機の台数があるぶん、作るものの幅が広がり、またそれを研究しながら作っています。
手機(てばた)は織り子さんの技術が必要で、糸は変えることができても織り方は変えられません。でも自動織機は動かし方を人間が考えて変えることができるので、作るものの幅が広がります。今使っている西陣織の古いジャガード織りの自動織機の中には、今ではもう製造できないものもあります。その織機を大切にメンテナンスしながらどう動かすか、織機でできる可能性を探っています。手機にしかできないこと、自動織機にしかできないこと、それを試すのは楽しいことです。
武道家で厳しい父から離れたくてヨットを始めた
――ヨットの選手から西陣織の世界へはどのような思いからですか?
兄と姉がいるので、幼い頃から「跡を継ぐ」という意識はありませんでした。姉はお茶、お花、着付けを習っていましたが、私はスポーツばかりやっていて、成人式の当日も「私は何を着るの?」と母に聞くくらい、着物に無関心。でも、小さい頃に日舞を習い、入学式には母が着物を着ていた、祇園祭りには浴衣を着る、そういう環境にいたのはたしかです。
父は元警察官で剣道を教えています。だからきょうだいみな、剣道をさせられて本当に厳しかった。鍛えられたおかげで強かったのですが、剣道が嫌いでした。だから高校進学のときに剣道の強い学校に行かずに別の学校に行き、ヨットを始めたんです。友達に誘われて初めて琵琶湖でヨットに乗った時、2月でとても寒かったにもかかわらず、ヨットが岸から離れていくときに、父はここにはこない。しかも痛くない、これがスポーツなんだと心からほっとしたのを覚えています。
――ヨットが楽しかったんですね
ヨットに熱中したのは、ヨットが好きというより勝負が好きだったからかもしれません。卒業して銀行に就職し仕事を覚えた25歳の頃、別のことがしたくなったんです。サーフィンとスノーボードが好きだったから、プロサーファーかプロスノーボーダー、あるいはずっと続けていたヨットをやろうと思いました。結局一番長くやっていたヨットを選びましたが、一旦やめていたので、強い人たちと差が出てしまっていたんです。負けるのが嫌だからすごく努力しました。
そして海外遠征に行くようになると、海外では、王室のある国は王室がヨットクラブをもっています。王室が主催する大会のフェアウエルパーティには王族が来るわけです。そういう人が集まるから、話題は文化的なことや政治のことになります。「日本人で着物を作る家に生まれて、どうして着物を着ていないの?」と言われたり日本文化のことを質問されたりすると、自信をもって答えられない自分がいたんです。
オリンピックを終えて、京都に戻って気づいた職人技の素晴らしさ
――オリンピックを終えてすぐに戻られたんですか?
アテネオリンピックでは期待されたにもかかわらず入賞を外してしまいました。次の北京オリンピックの開催地は、私の得意な弱風の海だったのですが、ずっと世界で戦うには、成績や資金など、いろんな条件が整わないとできないため、悩みながら帰国しました。
京都に帰ると、「日の丸を背負ってがんばったね」と皆に言われました。確かにそうなのですが、自分の中にある迷いが消えなかった。そんなとき、工場では職人さんがいつもと変わらずひたすら機を織っている。誰にも応援されないのにすごく頑張っている。それに気づいたときに、心が動きました。兄、姉ともに家業を継いでいないので、祖父や父がやっていることを誰かが知っておくべきではないだろうかと。日本人として、伝統ある西陣織を残さないといけないのではないだろうかと思ったのが、オリンピックではなく家業を選んだ一番の理由でした。
「手伝う」とわりと早い時期に家族に言いました。職住接近ですから、小さい頃から仕事の現場を目にするのは日常のこと。石川の工場には織り子さんの子どもを預かる託児所のようなものがあって、夏休みなどは、きょうだい3人そこに送りこまれていたので、機織の現場は体感していたわけです。
普段でも学校から帰ってきたら染め師や図案家など、出入りする専門職の人に「おかえり」と迎えられる。門前の小僧ですから、どんな人がどういう仕事をしているのか、機屋の1日のルーティンを知っていたので、違和感なくスタートしました。
自分らしい西陣織を模索
--ご自身のブランドについて教えてください
業界はこの10年で3兆円から2,500億くらいまで規模が縮小しています。父は無理して継がせることはないと思っていたようです。西陣織は分業なので大工の棟梁のようにプロデューサーとしてまとめる人がいます。それはほぼ男性、典型的な男社会です。が、父自身が自由にやってきた人なので私がやることを受け入れてくれました。でも、継ぐなら「自分が作りたいものがなかったら意味がない」と厳しく言われました。
自分はどうすべきかを考えていたときに、工芸的、技術的にすごい帯はあるけれど、自分が身に着けたときに、ちょっとかわいくてウキウキするようなのはない、母や祖母から受け継いだ着物を生かせるような、いい感じの帯がない、だったら自分が締めたい帯を作ろうと。
そしてできた第1作目はレース模様の帯だったのです。帯に編んだレースを貼りつけているみたいですが、すべて織っています。立体的に織る方法は父のアドバイスでした。
レースは中世ヨーロッパでは牧師の襟や花嫁のベールに使われるものでした。神の前で汚れをおとすような、祈りを通じさせるような意味があるんです。ベルギー、フランス、ロシア、それぞれの地方に伝わる編み方があって、美しいアンティークレースは高値で取引されています。それが着物に似ていると思いました。レースは小さい子どもからおばあちゃんまで、女性をかわいらしくエレガンスに見せてくれる点も魅力です。
出来上がった帯は女性には大好評でしたが、男性から見るとかわいいという価値観ではなかったようです(笑)。そんなふうに女子にしかわからない、キュンとした感覚を表現したいと思い、2012(平成25)年、「かはひらこ」ブランドを立ち上げました。
「かはひらこ」とは、大和言葉で蝶のこと。蝶は武将の紋にも用いられたように、再生や永遠の命という意味をもっています。日本にも生息しているアサギマダラアゲハは、たった1匹でヒマラヤ山脈を越え、2,000キロの海を渡ります。過酷な状況でも飛び続ける蝶のように、厳しい現代社会を生きる女性にも着物という羽を、という願いを込めて名付けました。
—後編に続く。
かはひらこ
https://kahahirako.com/
株式会社 西陣坐佐織
京都市北区紫野西藤ノ森町12-21
電話:075-441-3007
佐竹孝機業店
京都市北区紫野西藤ノ森町12‐20
電話:075-441-3307