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神戸の帽子専門店「マキシン」を訪ねて[前編]

神戸の帽子専門店「マキシン」を訪ねて[前編]

明治や大正時代の写真に、帽子を被ってキリッとした表情の紳士を見ることができます。洋装の女性は実用的ではない小さくて上品な帽子をかぶっています。その時代の人にとって、帽子はあらたまった場では欠かせないものでした。今、若者のあいだでも、ファッションの一部として外せないアイテムとなりつつある帽子。帽子は夏のアイテムとしてだけではなく、通年、さまざまなシーンでファッションに彩りを添えてくれます。今回は、いろいろな角度から帽子についての知識を深めるべく、創業80年の歴史をもつ帽子専門店「マキシン」神戸トアロード本店を訪ねました。

帽子の歴史

帽子の起源

帽子の歴史は長く、起源は遥か昔にさかのぼることになります。原始時代にはすでに頭にかぶるものが存在していたといわれ、それが帽子の前身とも言えるでしょう。紀元前4千年頃のエジプトで王が王冠をつけていたことが遺跡からもわかっています。古くから帽子は頭を保護して暑さや寒さをしのぐ実用的なものでありながら、身分や階級の象徴という側面もありました。
日本においても、頭に何かをかぶっている埴輪が見つかるなど、帽子の前身と思われるものは古くから存在したようです。奈良時代頃には、烏帽子という男子のかぶりものがあり、頭巾などもかぶられていました。

日本での定着と発展

古代ギリシャが発祥の帽子が日本に渡来したのは、16世紀中頃の織田信長の時代と伝わっています。キリシタンの宣教師が洋風の帽子をかぶり来日したことが始まりですが、その普及はまだ先になります。
その後の日本では、明治の初めに発令された断髪令も帽子が浸透するきっかけとなりました。洋装化が進み、軍帽や制帽などから先に紳士帽子が普及、遅れて婦人帽子は皇室など上流階級での着用から利用が始まりました。大正時代に入って職をもつ女性の制帽着用、そしてモダニズムの流れにより、モボ・モガとよばれた最先端の人たちの重要なファッションアイテムとなっていったのです。
和装から洋装への転換期であった大正から昭和へ、洋装の定着により婦人帽子の人気が高まってきました。百貨店でも帽子を取り扱うようになり、婦人服と婦人帽子のファッションショーが開催されたそうです。昭和10年頃には婦人帽子店の開業が続きました。このように婦人帽子が定着・発展していくなかで、神戸の地に「マキシン」が産声を上げたのです。

帽子専門店「マキシン」を訪ねて

「マキシン」の誕生と、その帽子

開港以来、神戸は外国文化の玄関口として栄え、ハイカラで独自の文化が育まれてきました。洋装が定着し、ファッション都市としての基盤ができていた神戸の街で、「マキシン」は昭和15年(1940)に創業を迎えました。当初は帽子を中心とした洋品雑貨店として開業し、フランスやスイスからの舶来品なども扱っていたそうです。サラリーマンの月給が45円前後の時代に、「マキシン」の帽子は1225円と高価なものでした。戦中・戦後と苦難の時代を乗り越え、昭和23年(1948)から百貨店展開を始め、婦人帽子の高級メーカーとして全国に知られるようになります。

そして昭和29年(1954)、現在の本店所在地である神戸・トアロードに移転。2年後に初代社長はフランス、イギリス、イタリアなど、75日間にわたってヨーロッパを巡り、各地のアトリエを訪ね歩きます。日本では手に入らない素材などを持ち帰り、帰国後は精力的に展示会を開催するなど、ヨーロッパの最新モードを発信。現在に至るまで「マキシン」の帽子づくりにも生かされています。

現在「マキシン」の帽子は、全国の百貨店でも取り扱いをしていますが、トアロード本店には古くからの顧客も多く、たくさんの人が遠方からも足を運びます。そして、皇室をはじめ、各地の万博やオリンピックなど、世界の舞台へと躍進。これまでに全日空や日本航空、関西国際空港など航空関連会社、JR各社や私鉄各社など鉄道関連会社をはじめ、各企業の制帽も製作しています。

3代目社長・渡邊百合さんと「マキシン」の不思議な縁

実は昭和45年(1970)の大阪万博と、のちに「マキシン」の3代目社長になる渡邊百合さんには運命的な縁がありました。当時、英語とフランス語が堪能だった渡邊百合さんは、大阪万博のエスコートガイドとなり、のちにサブリーダーに任命されていますが、万博開催の2年前からはVIPアテンダントとしても、国内および海外でPRにつとめていました。一方、「マキシン」はスイス館などの制帽製作のほか、当時話題を集めた松下館のタイムカプセルに入れる婦人帽子の製作に携わっています。日本万博博覧会協会の広報活動で、このタイムカプセルの説明をしていた渡邊百合さんですが、この時にはまだ「マキシン」との接点はなく、後に「マキシン」2代目社長の渡邊浩康さんと出会い、万博終了後に結婚することになります。
結婚後の昭和47年(1972)に開催された札幌冬季オリンピックでもチーフコンパニオンをつとめ、「マキシン」もまた、昭和59年(1984)のロサンゼルスオリンピックを皮切りに、昭和63年(1988)ソウル、平成8年(1996)アトランタ、平成12年(2000)シドニーと続けてオリンピック日本選手団の制帽や、平成2年(1990)の大阪花博など万博のアテンダント制帽を次々と手掛けます。若き日に渡邊百合社長がスタッフとして携わった万博とオリンピック。時を経て「マキシン」の社長となり、それらの制帽を手掛けていること、そして、2000年に開封されたタイムカプセルとの再会。それはまさに運命といえるでしょう。

「マキシン」の帽子ができるまでと、そのこだわり

クラシックミシンから心地よい音が響く本社3階の製作室。トアロードを臨む窓の横に机が並びます。1本のひも状になった素材を手にとり、ペーパーブレードの製作が始まりました。

なめらかに指を動かしながら少しずつアングルを変え、丁寧に、ゆるやかに、円を描いていきます。クラウン(頭にかぶる部分)のやわらかな立体感、流れるようなブリム(つば)…。熟練した職人の手のひらの温もりのなかから、一つひとつの帽子に命が吹き込まれていきます。

フェルト帽体(帽子の材料)の成型工程では、蒸気に包まれながら曲線美を描き、オリジナルのフォルムを作り上げます。蒸気で湿らせたあとで木型にかぶせて伸ばし、何度も繰り返しながら丁寧に形を整えていきます。

この「マキシン」ならではの帽子のフォルムは、職人の技とともに、その手になじむ道具=木型から作り出されます。約1000個を所有する木型のなかには半世紀の時を超えた創業当時のものもあり、伝統が守られ大切に使い続けられています。1995年の阪神淡路大震災では本店ビルも大きな被害を受けましたが、木型のほとんどは無事に守り抜かれたのです。

型入れでは、木型にかぶせて蒸気をあてながら、木型どおりに形を合わせ何度も繰り返し手でなじませていきます。木型の形がそのまま帽子の形となるのですから、木型は帽子作りの要といえるでしょう。型入れ用の木型はクラウンとブリムの二つに分かれていて、その組み合わせにより帽子のバリエーションは無限に広がります。

創業以来、すべてにおいて最高・最上の品質を追い求め、上質の素材でデザインから縫製、装飾にいたるまで、帽子職人“シャプリエの手作業で作り上げてきた「マキシン」の帽子。80年間変わらず、神戸の地で唯一無二の帽子を作り続けています。

次回は、TPOに合わせた大人の帽子の選び方とマナーについて、「マキシン」の渡邊百合社長にお聞きします。

Maxim(マキシン)神戸トアロード本店
兵庫県神戸市中央区北長狭通2-6-13
電話:078-331-6711
営業時間:10:3018:00
定休日:水曜(祝日は営業)

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