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杜氏・農口尚彦、88歳。日本酒を造り続ける漢(おとこ)

杜氏・農口尚彦、88歳。日本酒を造り続ける漢(おとこ)

石川県小松市、静かな山あいにある酒蔵「農口尚彦研究所」。名杜氏の名を冠したこの蔵ができたのは4年前、そこには農口尚彦とその酒に惚れ込んだ蔵元の思いがありました。88歳で今なお現役で酒を造る農口尚彦とはどんな人物なのか、その人が醸す酒はどんな味なのか……。造りがひと段落した頃、蔵を訪ねました。

農口尚彦(のぐち・なおひこ)

1932年、石川県内浦町(現能登町)生まれ。1949年、山中正吉商店(静岡県/現富士高砂酒造)に就職。西井酒造(三重県)、大村屋酒造場(静岡県)を経て、菊姫(石川県)の杜氏となる。1997年に定年退職後も2つの蔵の杜氏を務め、2017年、農口尚彦研究所(石川県小松市)の杜氏に就任。 2006年「現代の名工」に選ばれる。

著書「魂の酒」杜氏農口尚彦。

田畑が広がる美しい山里、観音下町

農口尚彦研究所があるのは小松市観音下町(かながそまち)。その名前の由来でもある観音山(かなんぼやま)は標高296メートル、山頂付近には10世紀ごろからまつられているという観音堂があります。水の化身とされている観音様に見守られている土地は、豊かな水や食べ物に恵まれるとも言われています。北陸の厳しい自然環境に暮らす人々の心のよりどころであったことは想像に難くありません。

観音様がまつられている岩窟の前に立つと、目線の先に農口尚彦研究所が見えます。観音山から流れ出るエネルギーが研究所に注がれている、そんな気がするロケーションです。

蔵の敷地でこんこんと湧き出るのは、霊峰・白山の伏流水。この水を仕込み水に、酒造りの神様とも呼ばれる農口尚彦の酒が生まれるのです。

農口尚彦の人生

能登杜氏四天王の一人とされ、「酒造りの神様」とも呼ばれる農口尚彦氏は、1932年石川県内浦町(現能登町)に生まれました。祖父・父ともに杜氏として活躍した家系で、16歳で酒造りの道へ進んでから、めきめきと頭角を現し、若干28歳で杜氏になりました。
酒造りの世界は蔵元と呼ばれる経営者、そして酒造りの責任者である杜氏、杜氏の元で働く蔵人で成り立っています。酒造りの様々な工程を覚えて、全体を指揮する杜氏になれるのはほんのひと握り。経験がものをいう世界で、28歳で任されるのは異例だったことでしょう。酒造りひとすじ、88歳で現役の杜氏を務める農口氏の人生をたどってみます。

修行時代

1949年、農口氏16歳の時に最初に修業に行ったのは、父が杜氏を務める酒蔵ではなく、静岡県富士市の山中正吉商店(現富士高砂酒造)でした。厳しい上下関係と仕事ですが、父のしつけも厳しかったので、負けん気で頑張ります。数学やソロバンが得意だったため、下っ端ながら米や麴の仕込み量の計算を手伝い、「若かったから面白いように吸収できました」と農口氏。大きな酒蔵で数字を読むことを覚えたのは、のちのち役に立ったそうです。ここで酒造りの重要な工程のひとつ、麴づくりを身につけます。「昔のことですから、細かく分析できるわけでもなく、さわった温度や口に入れた硬さや味だったりを、カラダに叩き込みました。ただ、そのときの師匠は、理論もしっかり教えてくれたため、アタマと五感をフル稼働させて、2年ほどで仕事を任されるようになりました」。
4年働いて、父が杜氏をしている三重県松阪市の西井酒造へ。さらに4年を経て、静岡県島田市の大村屋酒造へ。そしてまた4年後、石川県の銘醸蔵「菊姫」の杜氏に抜擢されたのです。

農口氏は言います。「同じことをしていても経験値にはならない。3つの酒蔵で異なる環境で学べたことがよかった」と。彼は勉強熱心で、能登杜氏組合の夏期講習会には17歳の夏から行き、22歳のときには杜氏コースを受講。成績優秀者として表彰もされています。醸造の理論をもっと知りたいと、東京の醸造試験所へ自費で勉強にも通いました。酒造りは「経験と勘」と言われた時代にあって、その才能が早くに花開いたのは努力の成果でもあったのです。

若き杜氏の苦い経験

菊姫の蔵元である柳辰雄社長(当時)は、農口氏を信頼し、蔵の内部や設備を農口氏が言うように整えました。「蔵元は本気で美味しい酒を造ろうと考えていました」、農口氏はその期待に応えようと、それまでの菊姫の味とは違う新しい酒を造ろうとします。石川県の酒は、どっしりと重い味。山や海で働く男たちが1日の疲れをいやすために、酔うために、ぐいっと飲む酒です。対して農口氏が造っていた静岡の酒は、口の中ですっときれる、きれいな酒でした。この味を再現すると鑑定官ら専門家には大好評でした。

ところが、地元のお客さんからは、「うすい」「みずっぽい」と敬遠されます。いつも飲んでいる濃い味がよいというのです。
「そのとき、地元のお客さんの嗜好を考えるべきだと気付きました。蔵元は菊姫の味を造ってほしいと願っていたし、どういう酒を造れば喜んでもらえるのかがわからなくなってしまった」。試行錯誤は10年ほど続きます。幸い、景気もよく、味の良し悪しがあっても酒は造れば売れた時代でした。

山廃仕込みで菊姫の名を不動のものに

実は、蔵元も農口氏も酒を飲みません。けれど味はわかる。飲めないから真摯に専門家に教えを乞いました。その中で、ある先生から山廃仕込みを勧められます。山廃は失われかけた昔ながらの手法。手間と時間がかかるため、多くの酒蔵では簡単に早く酒が造れる速醸モトを使っていました。農口氏の祖父は山廃仕込みをしていましたが、父は速醸モト一辺倒でした。農口氏は、かつて品評会で味わった黄色い酒、灘の生一本と言われた山廃の美味しさを思い出し、つてを頼って京都まで習いに行きます。

その結果、山廃仕込みの菊姫の酒が誕生し、人気が出て、農口尚彦の名は一気に広がります。全国新酒鑑評会では通算27回の金賞を受賞しました。
農口氏は、この結果は蔵元との出会いによるものが大きいと言います。蔵元と杜氏、互いに信頼しあい、蔵元は幅広い情報を集めて杜氏に伝える、杜氏はそれを研究して現場で生かすという二人三脚の成果でした。そして迎えた65歳の定年。農口氏は、菊姫の酒造りを後進に譲り、引退を表明します。

新天地で酒を造る

農口尚彦研究所外観

しかし、名杜氏・農口尚彦を酒造業界は放っておきません。同じ石川県の常きげん(鹿野酒造)から声がかかります。何度も足を運ぶ蔵元の思いに、菊姫の蔵元からもあとおしがあり、再び杜氏を引き受けます。ここでもまた挑戦が始まります。菊姫と同じ味では意味はないと、「常きげんで造る農口の味」にこだわりました。そしてまた常きげんの酒も人気に。79歳の時に体調を鑑みて引退。体調が落ち着くと、また酒造りへの思いが復活し、要請に応えるかたちで能美市の農口酒造の杜氏を務め、2017年に農口尚彦研究所が立ち上がると杜氏として迎えられました。

農口尚彦が造る酒

農口尚彦研究所は、農口氏の酒造りにかける思いとその生きざまに惚れ込んだ蔵元が、「農口尚彦のすべてを未来に伝えたい」という思いでつくった酒蔵です。酒造りに夢をもつ若い蔵人に、農口氏は「自分のもっているもの全てを教えます」と知識や経験を惜しみなく伝えています。最新の施設で、働く環境も整えた中で、蔵人に「勉強しろ、本を読め」と言い続けているのも、日々変化する日本酒の発酵状況をどう判断するか、どんな手をうつかを瞬時に考えなくてはならないから。

併設された資料館には、農口杜氏が長年記しているメモ帳が展示されています。「記録することは大事。修業時代から変わらない習慣です」と杜氏はさらりと言いますが、誰もが実行できているとは思えません。

「数字にできるものはすべて数字にして、分析値を観ながら、明日はこうしよう、と考えながら床につきます」「本当に酒造りは楽しい」という農口杜氏。88歳というのが信じられないくらい軽やかな足取りで、蔵の中を行き来しています。

杜庵にて

裏千家ゆかりの茶道の文化が根付いている小松市。杜庵と名付けられたテイスティングルームは、茶室をイメージした空間です。四角い窓はまるで大きな額縁か掛け軸のように、四季折々の里山と田園風景を浮かび上がらせます。

四畳半のカウンター、湯を沸かす茶釜、畳仕立ての長椅子、趣のある漆喰の壁…。ゆっくりと流れる静かな時間の中に身を置いて、農口尚彦の日本酒を最高の状態でティスティングし、酒器とのバランス、酒の温度、酒肴とのペアリングを楽しめます。

ティスティングすると、本醸造酒(精米歩合60%・小松産五百万石)は、マスカットのような香り。超辛口の部類だけれど、すっきりした酸のあとに甘味と旨味が感じられます。
純米酒(精米歩合60%・北陸産五百万石)は、瓶の状態で1年以上寝かせた分、丸みを帯びた甘味が感じられました。

農口尚彦の酒は、2年、3年と時間を経てさらに味わいが深くなるそうです。3年寝かせた山廃五百万石は、琥珀色になり、飛びきり燗(55℃)にしても、ふくよかな柑橘系の香りとともにしっかりした米の旨みを感じることができました。
NOGUCHI NAOHIKO 01 2017 vintage。酒米の王様と言われる山田錦で造った酒は、ライチやパパイヤのような甘い香りに、熟成されたふくよかな旨みと酸味、うっとりするようなあと味が残ります。

農口尚彦の酒は「立ち香より、口の中で香る酒」と言われるように、芳しい吟醸香がありながら、米の旨みが濃く、のどを通るとすっと切れる。食事の邪魔をしない、むしろ料理の味と相乗効果が出る食中酒といえます。アルコール度数は18度、19度と高いのに、その強さを感じないほど旨みやまろみが勝っています。

新しい酒蔵で、4度めの杜氏として鮮烈なデビューをした農口尚彦の酒。2018年にはANA国際線、ファーストクラス、ビジネスクラスの機内提供酒に選ばれるほどに。
美味しさの秘訣を聞くと、「あたりまえですが」と前置きして、「どの段階でも絶対に手を抜かない、すべての工程を丁寧に行うこと」と農口氏。加えて若い蔵人に伝えるのは、「記録すること、振り返って検証すること、夢をもつこと」だそうです。

今年ももうすぐ新米の季節。蔵人が蔵に戻ってきて酒造りが始まります。12月に89歳になる杜氏・農口尚彦が造る新酒も楽しみです。

農口尚彦研究所
石川県小松市観音下町 ワ1
https://noguchi-naohiko.co.jp/
https://shop.noguchi-naohiko.co.jp/

取材・文 松田きこ

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