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岡本依子さんの今をインタビュー(前編)

岡本依子さんの今をインタビュー(前編)

テコンドーの五輪銅メダリストで、現在はテコンドースクールの代表や、牧師としても活躍する岡本依子さんに「5つ星マガジン」がお話をうかがいました。

今回の前編では、テコンドーとの出会いや、オリンピック出場についてお話しいただきました。岡本さんがテコンドーを始めたのは、なんと二十歳を過ぎてから!

そこから、どうやってオリンピックで銅メダルを獲得するにいたったのでしょうか?

岡本依子 プロフィール

大阪府出身。早稲田大学卒業。2000年シドニー五輪テコンドー女子67kg級銅メダリスト。アテネ五輪(2004年)・北京五輪(2008年)と3大会連続オリンピック出場。

現在は、大阪市北区で「岡本依子ドリームテコンドースクール」を主宰。牧師としても活動。また、介護福祉のロングライフグループの社員として、高齢者への健康指導活動なども行う。

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◆岡本依子ドリームテコンドースクール https://www.dream-tkd-school.com/

この記事は【前編】です。【後編】はこちらへ。

岡本依子さんとテコンドーの出会い

――岡本依子さんとテコンドーの出会いは、二十歳を過ぎた頃だったそうですね。出会いのきっかけを教えてください。

大学3年生の9月から4年生の9月までの1年間、交換留学でアメリカのオレゴン大学に行きました。目的は、夢を探すため。当時の私は特に夢や目標もなく、このままでは就職活動もできないと思っていたんです。それで、交換留学に行けば、生涯の夢が見つかるのではと思いました。

オレゴン大学では、いろんなことにチャレンジしました。部活動のバスケットボールやテニス、女子ラグビーなどのスポーツ、フランス語やスポーツ心理学、文学が好きなので、日本文学を英語で表現するような授業も面白かったですし、ロシア文学の授業をとったりもしました。

――その中の一つがテコンドーだったんですね。

そうです。オレゴン大学の部活動にテコンドーがありまして。テコンドーについては、1988年のソウルオリンピックで公開競技だったことを知っていたくらいで、オレゴン大学でやってみた時は「空手じゃないんだなー」と思ったくらい。でも、私が少しだけ空手の経験があって黒帯を持っていたので、「空手ガール!」とちやほやされて(笑)。当時、ちょうど空手の映画がヒットしていたのもあって、うまい!と尊敬されて、「私、テコンドーのこと何も知らないのに」と思っていました。

――その状況から、どうやってテコンドーに魅了されていったのでしょうか?

大学ではなく、ダウンタウンにあるテコンドーの道場に行く機会がありました。700人くらいが通っている大きな道場でした。それまで、私の中では、空手や柔道などの武道と言えば、若い人の精神修行のようなイメージがあったんですが、その道場では、テコンドー自体が「way of life(生き方)」。実際に道場には、ちびっこからおばあちゃんまで、三世代で通っている人もいて、たとえ白帯でも「私たちはマーシャルアーティスト(武道家)だ」と。その姿勢がすごく新鮮で興味を持ちました。

テコンドー精神というのが、「人間には無限の可能性がある」「努力したらできる」というものなんですね。その道場でも「I can do it.と言う人が、You can do it.だ」(私はできる!と言えばできる)というのが合言葉のように言われていました。夢がなくてアメリカに行った私にとって、「人間には無限の可能性がある」と言われた時、「できると思えばできる」と言われた時、すごく勇気づけられたんです。何歳でも夢を持っていいんだと嬉しくなりました。

テコンドーを始めた岡本依子さんの夢は、いきなり世界チャンピオン!

――その道場で、岡本依子さんの夢が見つかったんですね。

当時私は21歳で、その年代だと、できる人はもう世界の第一線で活躍していて、結果も残している。焦りもあった私に、無限の可能性を気づかせてくれたテコンドーの、その道場の先生のような存在になることが夢になりました。そして、どうせだったら、「I can do it.と言う人が、You can do it.だ」と言える実績があれば、説得力のある先生になれると思って世界チャンピオンを目標にしました。

21歳でテコンドーを始めて、世界チャンピオンになれるの?と思われるかもしれませんが、道場の中ではみんな、テコンドーをやっているんだったらオリンピックに行く可能性があると考えを当たり前に持っていました。それも、練習がつらいという感覚はなく、本当に楽しんでいるんです。1年間の交換留学が終わった時も、道場の仲間とは「See you in Sydney!(シドニーオリンピックで会おうね)」と言って別れたんです。

――帰国後、テコンドー歴1年半で全日本選手権で優勝されました。

そうなんです。帰国して新人戦で優勝して、全日本に行くことができて、そこで勝つこともできました。本当に「できると思っている人ができる」ということを身をもって経験した出来事でもあります。

できないと思っていると、いつまでたってもそこに行くことができない。できると思ってやっていると、最大限自分の力を引き出すことができますし、チャンスをつかむことができる。それには、あまり時間は関係ないのだと今は思います。

――その後、テコンドーを始めて8年で、シドニーオリンピックに出場され、銅メダルを獲得されました。

アメリカから帰国する時に、道場の仲間から言われた「See you in Sydney!」が実現しました。当時、私は29歳。周りの人は誰も私がオリンピックに行くなんて思っていなかったと思います。女性がまだ30歳前に結婚するのが当たり前という雰囲気の中、私だけが「I can do it.と言う人が、You can do it.だ」と言って(笑)。

ポジティブな雰囲気のアメリカでテコンドーに出会ったのが良かったのかもしれません。「できなくても、自分は最高!」というリラックスした雰囲気だから、ミラクルみたいにヒーローが生まれるんです。 結果を出さないとダメとか、ネガティブに頑張るということがないんです。
日本はみんなのレベルは高いけど、なかなか認められない。もちろん、そんな環境だから頑張れるというところもありますが、アメリカだったら、それだけできたらヒーローなのに、と思うこともありました。

3回のオリンピック出場。モチベーションは、夢を見続けること。

――シドニー、アテネ、北京と3回連続してオリンピックに出場されました。長く現役を続けられたチベーションとは?

それはもう、最初の夢を変えないこと。怪我をしたりつらいと感じることもありましたが、説得力のある道場の先生になるために世界チャンピオンになる、という夢だけはずっと変わりませんでした。よく「初心にかえる」と言いますが、できなかった時の自分を思い出すんじゃなくて、できなかった時にみた夢を思い出すことが大切だと思います。夢って、楽しいから見ているんですから。

――北京オリンピックのあとに、引退されました。

シドニーオリンピックで銅メダルはとれましたが、そのあとの2つのオリンピックでも、世界チャンピオンになるという目標は叶いませんでした。

I can do it!で、金メダルをとれなかったけれど、獲れなかったことも、私にとっては誇りです。獲れるような実力がなかったのに、3回もオリンピックに出場し、銅メダルも獲得できました。だから、私は道場で「夢を持ちなさい」と言うことができるのだと思います。叶わなくても、自分の能力を最大限に発揮し、自分が持っている以上の力も経験できるのだということがわかりました。

 

後編に続く。
後編では、引退後の活動と人生のターニングポイントについて語ります。

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