落語の楽しみ方 ~笑福亭銀瓶~
日本の伝統的な話芸「落語」。笑いあり、涙あり、演じる落語家によって、様々な世界が描かれていきます。通常なら寄席に出かけることをおすすめしますが、自宅で過ごすことが多い今は、DVDやYouTubeなどの動画もいいですね。今回は、落語をより楽しむために、落語家の笑福亭銀瓶さんにご登場いただきます。(トップ写真:Photo by 佐藤 浩)
笑福亭銀瓶 プロフィール
1967年兵庫県神戸市生まれ。
1988年3月笑福亭鶴瓶に入門。2005年から韓国語による落語も始め、韓国各地で公演。2010年10月文化庁文化交流使として韓国に滞在。ソウル、釜山、済州で20公演、約3500人を動員する。舞台『焼肉ドラゴン』、NHK朝ドラ『あさが来た』『わろてんか』『まんぷく』『スカーレット』に出演するなど、役者としても活躍中。
【YouTube】落語家 笑福亭銀瓶のぎんぎんチャンネル
【HP】笑福亭銀瓶公式HP
5つ星マガジン「落語の楽しみ方」連載
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落語ってどんなもの?
落語は、時空を超えて想像させる話芸
落語は今から約300年前、江戸時代に、当時の江戸(今の東京)と上方(今の京都、大阪)で、ほぼ同時期に生まれた、庶民の芸です。
日本には、『能』『狂言』『文楽』『歌舞伎』など、様々な古典芸能がありますが、他と大きく違う点は、「舞台上には1人だけ」ということです。
今、東京の神田伯山さんが大変な人気を集めております『講談』も、落語同様、1人で演じます。
これから説明する幾つかの点で、落語と講談、両方に共通する部分がありますが、とりあえずは、『落語の説明』ということで、お付き合いください。
まず、皆さんに理解して頂きたい大事なことは『落語は想像の芸である』ということです。それは、実際に落語会や寄席に足をお運び頂き、生の落語を聴いて頂ければ、落語初心者の方でもすぐに感じて頂けるはずです。
演劇、お芝居ですと、セットが組んであったりしますが、落語の舞台は実にシンプルです。落語家が座る高座と座布団、その後ろに金屏風が置いてあるくらいです(金屏風があるのは豪華な落語会です)。
舞台がシンプルであるが故に『想像する。想像させる』ことが、より重要になるのです。舞台上に落語家(噺家⦅はなしか⦆とも言います)が出てきて、身振り手振りを交えながらお喋りをします。落語家は、お客様に想像してもらえるように演じる。その一方、お客様方も想像力を豊かにして聴く。この二つが融合した時、シンプルな舞台上に、ありとあらゆるモノが存在し、そこが、ある時は家の中であったり、路上であったり、お風呂屋さんになったり、船の上になったり、物語によっては、海中や地獄での場面にもなります。想像だけで、落語家とお客様が一緒になって、いろんな場所に行けるのです。
時間も飛び越えます。過去、現在、未来、関係ありません。言ってみれば『何でもあり』なのです。想像によって、大きな笑い、あるいは、深い感動が生まれるのです。
落語家が登場人物を演じ分ける
そして、落語は座ったまま演じます。この『座ったまま演じる』という点が、落語が『世界中で他に類のない芸』だと言える、大きな特徴なのです。噺家が座った状態で、座っているシーンはもちろんのこと、立って会話している場面、歩いている場面、寝ている場面も演じます。全ては想像です。
噺の中に出てくる全ての登場人物を1人の落語家が、顔の向きを変えながら演じ分けます。右を向いたり、左を向いたり。これを我々の世界では「上下(かみしも)を切る」と言います。お客様から見て右側(落語家にとっては左)が上手(かみて)、お客様から見て左側(落語家にとっては右)が下手(しもて)です。
例えば、AさんとBさんの会話を表現する場合、上手に顔を向けてAさんを演じたなら、Bさんは下手を向きます。これが、途中で無茶苦茶になってしまうと、お客様は頭の中で混乱してしまい、「あれ?いま喋っているのは誰なの?」ということになってしまいます。ですから、この『上下(かみしも)を切る』というのは、お客様に落語を楽しんで頂く上で大変重要なことなのです。もちろん、噺の途中で、AさんとBさんの位置関係が逆になるというシーンが出てくることもありますが、その場合も、台詞や仕草で補いながら、お客様が「あぁ、2人の位置が変わったんだなぁ」と理解できるよう演じなければいけません。
そして、登場人物は2人だけとは限りません。噺によっては、3人、4人、5人、それ以上の人物が登場する落語もあります。その場合も、左右だけでなく、真横や斜め後ろに、顔の向きや目線を変えて、それぞれの人物を演じ分けます。もっと言うと、『そこに、その人物を浮かび上がらせる』のです。
何度も言いますが、キーワードは『想像』です。我々、落語家は『どうすれば、お客様に想像して頂けるか。お客様の頭の中に絵が浮かぶのか』ということを大事にしながら演じます。
落語はどこで聴けるの?
落語は『寄席(よせ)』あるいは『落語会』で楽しむことができます。
寄席とは、毎日、落語を中心とした演芸(落語と落語の間に、色物と呼ばれる漫才や手品などが入る)を催している劇場のことです。明治・大正の頃はたくさんありましたが、現在、主な寄席としては、東京に4軒(新宿末廣亭、鈴本演芸場、池袋演芸場、浅草演芸ホール)、関西に2軒(大阪・天満天神繁昌亭、神戸・新開地喜楽館)あります。
一方、落語会は、全国各地のホールや公民館、お寺や神社、あるいは、飲食店などで催す会のことです。1,000人から2,000人のお客様を集める大規模な会もあれば、30人くらいのお客様で小ぢんまりとしたアットホームな会もあります。こういう小さな落語会を『地域寄席』と呼び、年に数回、定期的に催され、中には30年~40年も続いている会もあります。もしかしたら、皆さんがお住まいのご近所にも、そういう落語会があるかもしれませんよ。探してみてください。
『落語を愛する皆様』のお蔭で、落語家はもちろん、『落語文化』そのものが育てられています。
江戸落語と上方落語の違い
東京と大阪で違う言葉のニュアンス
「江戸落語と上方落語の違いは何ですか?」と質問されることが時々あります。一番大きな違いは、まあ、当たり前なんですが言葉です。江戸落語は江戸の言葉、上方落語は上方の言葉で演じます。今から20年くらい前までは、この『言葉の違い』で、東西の多くの噺家が苦労しました。東京の噺家が関西で落語をしても、あまりウケない。逆に、上方の噺家が東京(あるいは関西以外の全国各地)で演じてもウケることが難しい。もちろん、演じる噺家によって「場所なんて関係ない」ということもありますが、確かに、言葉の壁があったのは事実です。特に、関西人が持つ『東京の言葉、江戸弁に対する嫌悪感』というのは、関東人のそれと比較しても大きかったと思います。ところが、ここ最近、それがほぼ無くなりました。関西人が東京の言葉に慣れたというのを飛び越えて、今では、親しみを持つようになったと感じています。
関西ローカルのTV番組に東京のタレントさんが当たり前のように出演しています。昔では考えられなかったことです。そして、それ以前から、関西の多くのタレントが全国区で活躍しています。
『ベルリンの壁崩壊(1989年)』の如く、東西の言葉の壁が無くなったことによって、今では、「江戸落語、上方落語、そんなことはどうでもいい。面白いか、面白くないのか。いい高座か、ダメな高座か」という価値観を持つお客様が増えたように感じています。
江戸落語には真打ち制度がある
それ以外の違いで、大きなものは『真打ち(しんうち)制度』です。江戸落語には存在し、上方落語には存在しません(大正期までは存在していました)。
落語界は、東西とも、上下関係が非常に厳しい、封建的な世界です(昨今、これもなかなか難しいのですが)。そして、東京の落語界はそれがさらに明確で、師匠に入門すると、最初は『見習い』からスタートし、次に『前座』、さらに『二つ目』と上がっていき、最終的に『真打ち』に昇進します。真打ちになれば、寄席でトリ(一番最後に出演)を務めたり、弟子を取ることもできます。『真打ち』になって初めて、一人前の噺家と認められるのです。
上方落語も大正時代までは真打ち制度があったそうです。ところが、その当時、徐々に落語よりも漫才が台頭し、寄席が落語ではなく漫才中心になっていきます。その結果、落語家の数が減り、階級制度の意味が無くなった。また、『真打ち』という仲間内の序列よりも、世間の人気が待遇の基準となり、制度の必要性が無くなったのではと言われております。私が思うに、「肩書きはどうでもエエねん。オモロいか、オモロないか。それが大事や」という感覚が、昔も今も、特に関西人にはあるように感じています。
落語の演目の分類
落語には様々なジャンルの噺があります。いろいろな解釈があり、定義づけは難しいのですが、以下に簡単に分けてみます。
①仕込み噺:ちょっと間抜けな主人公が、教えてもらったこと(仕込み)をその通りにできずに、後から失敗する(バラす)という、落語ではオーソドックスなパターンです。落語家にとって、落語の基礎的な要素が詰まっていて、キャリアの浅い前座さんが演じることが多いですが、とても難しいです。
〈代表的な演目〉『つる』『子ほめ』『牛ほめ』『時うどん』『みかん屋』『阿弥陀池』など。
②旅ネタ:2人の主人公(噺によっては3人)が、旅先でいろんなトラブルに巻き込まれる様子を描いたドタバタ劇とでも言いましょうか、理屈抜きの馬鹿馬鹿しい噺です。リズム感とテンポの良さが求められます。上方落語では、噺の途中でハメモノ(三味線や太鼓の効果音)が入り、賑やかな演出となります。
〈代表的な演目〉『煮売屋』『軽業』『七度狐』『三人旅』『宿屋町』『三十石』『兵庫船』『地獄八景亡者戯』など。
③酒ネタ:酔っ払いが主人公となる噺。
〈代表的な演目〉『親子酒』『替り目』『上燗屋』『らくだ』『一人酒盛』『禁酒関所』『試し酒』など。
④芝居噺:歌舞伎をテーマにした噺。歌舞伎のパロディー的な要素があるため、聴く側に歌舞伎の知識が豊富だと、より楽しめます。
〈代表的な演目〉『七段目』『蔵丁稚』『蛸芝居』『質屋芝居』『足上がり』など。
⑤人情噺:笑いよりも、グッと聴かせて、泣かせる噺。江戸落語に多い。
〈代表的な演目〉『芝浜』『文七元結』『子別れ』『鼠穴』『柳田格之進』『立ち切れ線香』など。
※もちろん、上記以外にも、『親子の噺』『夫婦の噺』『商家を舞台にした噺』など、多々あります。
落語の演目 ~青菜(あおな)~
ここでひとつ、古典落語から簡単にストーリーを紹介しましょう。
『青菜(あおな)』
夏の噺。植木屋さんが、仕事先の旦那の家で酒をご馳走になる。青菜を食べることに。旦那が奥方に、青菜を持ってくるよう命じたが、奥方は「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官」と言う。考えた旦那「義経、義経」と返す。これはつまり、隠し言葉。青菜があると思っていたが、菜は食べてしまって、もう無い。「名(菜)も九郎(食ろう)判官」。それに対して「義経、義経」は「よっしゃ、よっしゃ」という意味。その会話を教えられた植木屋、「流石はご大家!」と感動し、「俺もやってみたい」と家に帰り、自分の妻にそれを教える。しばらくして、友人(大工さん)が来て、酒を飲ませる。妻に青菜を注文。ところが妻は「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官、義経」と、植木屋が言うべき「義経」まで言ってしまう。困った植木屋、仕方がないので「弁慶」。
※この噺のサゲ(オチとも言います)は実に粋なサゲです。ところが、時代とともに、このサゲもピンと来ないお客様がいらっしゃいます。特に、若い世代に。「九郎判官」が源義経のことであるということを知らない。そして、義経と弁慶の関係性も知らない。もっと言うと、源義経を知らない。そういうわけで、将来、説明が必要だったりして、演じるのが難しい噺になるのかもしれませんね。
落語家の日常 ~笑福亭銀瓶の場合~
落語家それぞれで、当然、日々の過ごし方は違ってきますが、私の場合、まず大事にしていることは、やはり、身体です。声を出す仕事ですから、スポーツジムで体幹を中心に鍛えています。喉に頼らず、お腹から声を出すためです。そして、歩きながら落語の稽古をします。周囲の人に聞こえない程度の声で(もしかしたら聞こえているかも)、ブツブツブツブツ、台詞を呟くのです。そうすることによって脳が活性化され、「こんな時事ネタを入れたら面白いかも」とか「この台詞、あの人の物真似で言ってみようかな」など、アイデアが生まれるのです。
ある先輩噺家が、こんな話をしてくださいました。「落語家は稲作と同じや。日々の稽古は、田植えや田んぼのケア。そして、高座で噺をする時が、稲の刈り入れ。日々、やるべきことをやっていれば、いいお米ができる。しかし、やっていなければ、不作になる。それは全て、自分次第や」。
本当に、その通りだと思います。
結び
『落語国の人々』。落語に登場する人物たちを我々はこう呼んでいます。彼らは、とても愉快で愛すべきキャラクターばかりです。落語家が『落語国の人々』を演じ、お客様に「いるいる、私の周りにもそんな奴」と、共感して頂いた結果、笑いになったり、時には涙を流したり。一つの空間で、舞台と客席が同じ空気を共有する。超アナログな世界です。今のこんな世の中だからこそ、落語の世界に浸ってみませんか? たくさんの落語家が頑張っています。高座で皆さんと出会える日を楽しみにしています。
笑福亭銀瓶 プロフィール・著書情報
1967年 10月 15日生まれ、兵庫県神戸市出身。
1988年 3月、国立明石工業高等専門学校・電気工学科を卒業。
1988年 3月 28日、笑福亭鶴瓶に入門。
2005年から韓国語による落語も手がけ、韓国各地で公演を継続。
2008年、繁昌亭奨励賞受賞。
2009年、繁昌亭大賞受賞。
2010年 10月、文化庁文化交流使として韓国に1ヶ月間滞在し、ソウル、釜山、済州で20公演を行う。
2017年、文化庁芸術祭・大衆芸能部門・優秀賞受賞。
舞台『焼肉ドラゴン』、NHK朝ドラ『あさが来た』『わろてんか』『まんぷく』『スカーレット』に出演するなど、役者としても活動中。
【著書】銀瓶人語vol.1~vol.3(西日本出版社 / TEL:06-6338-3078)