落語の楽しみ方 3 ~笑福亭銀瓶~
落語家・笑福亭銀瓶さんのコラム、第三弾は落語家(噺家)になるために、師匠のもとへ弟子入りして始まった修業生活のエピソードです。(トップ写真:Photo by 佐藤 浩)
笑福亭銀瓶 プロフィール
1967年兵庫県神戸市生まれ。
1988年3月笑福亭鶴瓶に入門。2005年から韓国語による落語も始め、韓国各地で公演。2010年10月文化庁文化交流使として韓国に滞在。ソウル、釜山、済州で20公演、約3500人を動員する。舞台『焼肉ドラゴン』、NHK朝ドラ『あさが来た』『わろてんか』『まんぷく』『スカーレット』に出演するなど、役者としても活躍中。
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5つ星マガジン人気連載 第3回です!
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落語家は弟子になるしか道がない
テレビ番組におけるお笑い芸人の需要
コロナウイルスの影響で、テレビ業界も大変です。出演者がスタジオに集まることができない。自宅などからのリモート出演というのが、すっかり定着してしまった感じです。見る側も、かなり早いうちに慣れてしまうから不思議ですね。
私は普段から、あまりテレビを見ないんですが、それにしても、テレビ番組における『お笑い業界』の需要というのは、昔と比べると圧倒的に高くなりました。バラエティー番組はもちろんのこと、情報番組からニュース番組まで、お笑い界の人たちがたくさん出演されています。
そもそも、『お笑い芸人』とか『お笑いタレント』と呼ばれる人たちの人数が、昭和の頃とは比べ物にならないほど増えているはずです。売れている人、売れていない人、全て引っ括めて。いやまあ、数えたことがないんでハッキリと断言はできないんですが、きっとそうですよ。知らんけど。
※「知らんけど」でまとめる、この終わらせ方は、関西のオバチャンのパターンです。
以前出した私の記事で、「噺家の人数が増えた」と書きましたが、それと同様、『お笑いの世界に入る』ということのハードルが低くなったんでしょうね。しかしまあ、その世界に入ることができても、その先、食べていく、仕事をしていく、もっと言うと売れっ子になるなんていうのは、並大抵のことではありません。これは落語の世界も同じ。まあ、当たり前の話ですが。
『お笑いタレント』『漫才師』になるには
いま、『お笑いタレント』を目指す方々は(漫才も含めて)、多くの場合、大手芸能プロダクションや芸能事務所が経営あるいは管轄している養成所やスクールに入ることが主流です。
以前は、「漫才師になりたい」という人は、漫才師の弟子になっていました(喜劇役者に弟子入りする場合もあります)。私が子どもの頃に大好きだった、『夢路いとし・喜味こいし』、『横山やすし・西川きよし』、そして、今もバリバリの現役、『オール阪神・巨人』など、かつての『漫才ブーム』で活躍された漫才師の方々は、東西問わずほとんどと言っていいほど、みんな、漫才師あるいは芸人の弟子になっています。つまり、昔は芸人になるためには、芸人に弟子入りするしか道が無かったのです。
しかし現在は、師匠を持つ、師匠に弟子入りしたお笑いタレントや漫才コンビを探す方が難しいほどです。大多数が、養成所やスクール出身なのです。
『落語家』になるには
ところが、落語家は違うんです。まあ、落語家を『お笑い界・お笑いタレント』の中に、すんなりと入れていいのかどうか、これはこれで判断の難しいところですが、とにかく『プロの落語家になるための養成所やスクール』というものが、今のところこの日本に、いや、地球上に存在していないのです。ただし、『アマチュア落語家の教室や講座』はあります(そこで教えているのは、プロの落語家であることが多いです)。
前置きが長くなりましたが、落語家(噺家)になるためには、自分が「この人!」と思う師匠の下に弟子入りするしかないのです。そして、見事(見事でもないか)、弟子入りできたら、『修業生活』という名の素晴らしい、笑いあり、涙あり、時に地獄のような日々が待ち受けているのです(師匠にとっても弟子にとっても、お互いに)。
内弟子と通い弟子
内弟子と通い弟子の違い
落語家の修業期間は、基本的に3年間です(一門によっては、2年の場合もあります)。
そして、落語界における修業には、『内弟子(うちでし)制度』と『通い弟子制度』の2パターンがあります。内弟子は、師匠の家に住み込んで修業をします。それに対して通い弟子は、決められた時間に師匠の家に行き、「もう帰っていいよ」と言われるまで師匠の家で修業をします。ですから、内弟子制度よりも通い弟子制度の方が、弟子にとっては自由な時間があります。
昔は、内弟子が当たり前だったようです。しかし、時代の流れとともに内弟子制度はどんどん廃れ、東京のことは知りませんが、上方落語では今現在、内弟子(師匠の家に住み込み)で修業をさせている師匠は皆無なはずです。
『上方落語・四天王』と呼ばれる、六代目 笑福亭松鶴師匠、三代目 桂米朝師匠、三代目 桂春團治師匠、五代目 桂文枝師匠、さらに、二代目 露の五郎兵衛師匠という、昭和から平成にかけて上方落語を支えてこられた大師匠でも、最後まで内弟子制度を取られていたのは桂米朝師匠だけでした。最初のうちは住み込みで弟子を取っていても、その後、いろいろな諸事情で、通い弟子制度に変更されたと聞いております。
通い弟子に変えざるを得ない事情とは
これは、米朝一門の桂米二師匠(1976年入門)から教えて頂いた話なんですが、米二師匠がまだ内弟子修業中に、米朝師匠と春團治師匠との間でのこんな会話を耳にされたそうです。
米朝「なんで、もう、内弟子、取らへんねん?」
春團治「いや、ウチな、娘がおるさかいな」
噺家の弟子というのは、基本、若者です。そしてほとんどが男です。日本で最初の女性落語家、露の都師匠が、1974年(昭和49年)に露の五郎兵衛(当時・露の五郎)師匠に入門されてから、現在までに、女性落語家も増えましたが、圧倒的に男性が多いのです。
幼い頃ならともかく、年頃の可愛い娘がいる家に弟子とはいえ、若い男を寝起きさせるなどということは、師匠はもちろんのこと師匠の奥様も心配になって当たり前です。噺家の世界は『芸を盗む』と言いますが、状況次第では「お前、何を盗んでンねん」ということになりかねません。
ちなみに、米朝師匠のご家庭は、ご子息ばかりです。
もちろん、内弟子制度から通い弟子制度に変更する、あるいは、初めから、通い弟子制度を採用するという理由は、こういうことだけではありません。その師匠のご家庭によって、様々な事情があります。しかし、皆さん考えてみてください。赤の他人を自分の家に住まわせるって、大変なことですよ。絶対に、師匠も奥様も他の家族も、「嫌だなぁ」と思う時があったはずです。
では、通い弟子制度にしたら師匠が楽になるかと言うと、そうではありません。内弟子と通い弟子の大きな違いは、住み込みかどうかですから、他はほとんど変わりません。
弟子の食費
修業期間中の食事
弟子の修業期間中、師匠にとって何が大変かと言うと、やはり食費です。3年間、弟子の一日三度の食事のほとんど全てを師匠が食べさせないといけないのですから。
これも桂米二師匠から聞いた話ですが、1976年当時、米朝師匠のご自宅には、米二師匠を含めて内弟子が3人、そして米朝師匠の息子さんが3人(その内の1人は、現・桂米團治師匠)、つまり食べ盛りの若い男が6人もいたんです。毎日、朝に1升、夜に1升のご飯を炊いていたそうです。お米屋さんは儲かって仕方がなかったでしょうね。そこにおかず代もかかります。この代金、弟子から徴収するなんてことはできません。全部師匠が払うんです。
笑福亭鶴瓶一門の場合
私が師匠・笑福亭鶴瓶に入門したのは、1988年(昭和63年)。その時、一番下の私を入れて、弟子が3人いました。そして、師匠のお子さんが、2人。当時、中学1年生のお嬢さんと、小学4年生の息子さん。この息子さんが、今、俳優として大活躍されている駿河太郎さんです。
ウチの一門は通い弟子制度でしたが、基本、朝7時30分に師匠のご自宅に行くので、一日三食、師匠の家でご飯を食べさせて頂きました。弟子も食べるし、お子さんも食べる。いや、お子さんよりも弟子の方が食べていました。「居候 三杯目には そっと出し」という川柳がありますが、そんなことはお構いなし。ヒドイ弟子です。もしかしたら師匠も奥様も「こいつら、ちょっとは遠慮したらどないや」と、腹の底では思っていたかもしれません。
毎日、弟子がスーパーに買い物に行きます。肉、野菜、卵、牛乳、パン、その他たくさん。1回に買う量が、ホントにスゴイんです。スーパーの店員さんたちは、我々が『笑福亭鶴瓶の弟子である』ということを知りません。ある日、レジで支払いを済ませると、レジの女性から尋ねられました。
「どこかの大学の運動部?」「は?」「違うの?」「何がですか?」「前から聞こうと思っていたんだけど、どこかで、大勢で合宿でもしてるんでしょ?」「…あぁ、違います、違います。落語です」「あぁ、落研(おちけん)?」
こんな小噺みたいな会話が本当にあるくらい、弟子を取ると、とにかく食費がかかります。
弟子の家賃
通い弟子の住居
事によっては、食費だけではありません。
通い弟子の場合、弟子が自分の実家から師匠の家に通うパターン(親と同居している弟子の場合)と、師匠のご自宅の近くに弟子がアパートを借りて、そこから通うパターン(最近はアパートというものが減りましたね)の2種類があります。弟子の実家が師匠の家から遠い場合は、やはり師匠の近くに部屋を借りなければいけません。
内弟子ですと同じ屋根の下に住んでいますから、何か用事があれば夜中でも師匠が弟子を呼ぶことができます。その点は通い弟子も同じで、師匠の家の近く(徒歩圏内かバイクや自転車ですぐに行ける距離)に弟子が住んでいれば、「おい、今からちょっと来い」と、師匠が命令できます。もっとも、仮に弟子が南極にいたとしても、師匠が「おい、今からちょっと来い」と言えば、弟子は「はい、分かりました」と返事をしないといけないのですが。まあ、これは極論ですが。
とにかく修業期間中の弟子は、常に師匠の傍にいないとダメなんです。それは雑用のためであったり、落語の稽古のためであったり(稽古の話は改めて書きますからご心配なく)いろいろです。大前提として、修業期間中の弟子には『自由など無い』のです。
弟子がアパート・マンションを借りる
弟子が実家を離れて、アパートでもマンションでも部屋を借りると、当然そこには『家賃』というモノが発生します。この家賃を誰が払うのか。大きく分けますと、2つのパターンがあります。
<師匠が払う>
スゴイですね。食費だけでなく、家賃まで払ってくれるんですよ。愛人でもないのに。しかしまあ、これはどの師匠でもできるということではありません。また、当然のことながら高額の賃貸マンションを借りてくださるわけでもありません。そんな待遇なら、「一生、修業期間でもイイです」と言う弟子が出てくるかもしれません。それなりの金額のそれなりの部屋です。そしてこの場合、借りてもらっている部屋は、弟子にとって『ただ寝るだけの部屋』なのです。食費も家賃も師匠が出してくれますから、弟子はお金を稼ぐ必要がないのです。その分、朝から夜までずっと師匠の家にいる、あるいは落語会など師匠の仕事先に鞄持ちでついて行くなどして、『ただ寝るだけの部屋で寝ている時しか自由時間がない』という、『夢を見ている時だけが夢のような生活』というわけのわからない日々を過ごします。これはまあ、冗談ですが。弟子にとっては本当にありがたい話であり、師匠の方は大変です。
<弟子が払う>
自分が住む部屋の家賃なのですから、自分で払うのは当然です。恐らく現在は、このパターンが主流だと思います。私もそうでした。では、どうやって家賃を稼ぐのか。それはもうアルバイトです。家賃と光熱費に電話代、それにちょっとしたお小遣い。これに相当するくらいの金額を稼ぐ程度のアルバイトをするのです。『週に何日、何時から何時までアルバイトに行けばその金額に達するのか』というようなことから判断し、師匠ご夫妻の了解のもとアルバイト先を決めて、その時間になれば「すみません。バイトに行かせて頂きます」と、師匠の家を出ます。同時期に弟子が複数人いれば、ローテーションを組みます。
アルバイトはし過ぎるな
ここで間違えてはいけないのは、『メインは師匠の家での修業であって、アルバイトではない』ということです。お金が欲しいですから、ついついバイトのシフトをたくさん入れてしまい、「それなら噺家にならずに、そっちで頑張れ!」と師匠から怒られたりします。また、気をつけないといけないのが『バイト先で仕事ができ過ぎて、店から頼られるような存在に極力ならないように』ということです。修業期間中の若い弟子には、どこかに『奉仕の精神』がありますから、バイト先でかなり頑張るんです。店からすると、「この子は使えるなぁ」となり、バイトの人数が少ない時や、急に休む人が出た時に「◯◯くん、明日、店に来てもらえないかなぁ?」と店長から頼まれたりします。師匠に相談すると、「仕方ない。まあ、行ってこい」となります。これが1回、2回ならいいんですが、度重なると「お前にとって、店長と俺、どっちが上なんや~!」と、これまた師匠の逆鱗に触れます。私の体験談ですから、間違いありません。
私は、ロイヤルホスト・芦屋店と、神戸の御影にある『なだ番』という居酒屋でアルバイトをしていました。どちらも本当にお世話になりました。賄いも美味しかった。当然、バイト先での仕事も一所懸命やりましたよ。今でも、当時のバイト仲間や店長さん、『なだ番』のマスターご夫妻と仲良くさせて頂いています。私の貴重な青春時代でした。
一人暮らしも修業のうち
師匠が家賃を払ってくださるにせよ、弟子がアルバイトをして家賃を稼ぐにせよ、若いうちに一人暮らしをするというのは、本当にいい経験でした。私は弟子入りするまで、親と一緒に暮らしていましたから、そこで初めて親のありがたみを実感したようなものです。
また、落語家には『独立性』というものも必要ですから、一人で住むということは、決して無駄ではないと考えます。52歳になった現在、妻と2人の子ども、つまり4人家族ですが、今でも時々「一人暮らしをしたい」と思うことがあります。
師匠はホントに大変です
ここまでは、弟子を取った側、『師匠の大変さ』を中心に書きました。でも、これはほんの一部です。
そして、『修業中に弟子はどんなことをするのか?』とか『落語の稽古はどうやるのか?』など、まだまだ、核心には触れていませんね。すみません。
師匠と弟子。師弟関係。これがいつの日か、『親子関係』になるための大切な時間、あるいは、ほんの序章。私にとって、師匠・笑福亭鶴瓶のもとでの3年の修業期間は、そういうものでした。
この続きは、また改めて。必ず、興味深い内容、お話をお届けします。
笑福亭銀瓶 プロフィール・著書情報
1967年 10月 15日生まれ、兵庫県神戸市出身。
1988年 3月、国立明石工業高等専門学校・電気工学科を卒業。
1988年 3月 28日、笑福亭鶴瓶に入門。
2005年から韓国語による落語も手がけ、韓国各地で公演を継続。
2008年、繁昌亭奨励賞受賞。
2009年、繁昌亭大賞受賞。
2010年 10月、文化庁文化交流使として韓国に1ヶ月間滞在し、ソウル、釜山、済州で20公演を行う。
2017年、文化庁芸術祭・大衆芸能部門・優秀賞受賞。
舞台『焼肉ドラゴン』、NHK朝ドラ『あさが来た』『わろてんか』『まんぷく』『スカーレット』に出演するなど、役者としても活動中。
【著書】銀瓶人語vol.1~vol.3(西日本出版社 / TEL:06-6338-3078)